無料
無料というキーワードが、検索エンジンで使われるワードの中で人気の高いひとつらしい。お金を使えないからなのか、使いたくないからなのか、どうなんだろうと考えてみたが、タダであるに越したことはないというのが一番の理由である気がする。
ところが、お金のかからないサービスといいながらも、有料のもの以上に素晴らしい内容のものを提供してくれるところもある。もし気に入れば寄付とかしてくれると有り難いと書いてあるサイトもあれば、直接的な見返りを期待するような文言が全くないサイトもある。
何かお礼をしたいけれど、送金するとかの手段が難しいという場合もあったりする。金銭で感謝の意を表しにくい状況にあるとき、他にどのような方法で気持ちを表現できるかを考える時がある。誰でもできそうなことでありながら、しかし実際には誰もができることではない方法があれば多少は意を汲んでもらえるのではなかろうか。インターネットを通じてここのサイトとしてできる最良の方法はたぶん恩義を感じたサイトをいかにうまくアピールするではないだろうか。ひとり、ふたりがこれは素晴らしいと言うよりも、より多くの人に素晴らしいと思ってもらえることができるためである。
そもそも無料ということばの響きは得する雰囲気を含んでいるように思う。
実際は限定された無料であるけれども、無料という部分だけを強調しているサイトや商品も少なくない。マーケティングと方針の違いからくるものもあれば、その真意が悪意を含むものもある。
また、無料といいながらも、何か有償のものを買った場合におまけとしてその部分を分けた扱いを強調することで、おまけの部分は無料だという場合もある。ある意味で付加価値を消費者、ユーザーに感じさせるものであれば、変な違和感はない。
スマートだと思うのが、その商品そのものを使うことに対価をとらず、商品を媒体として収入を得ることで商品そのものは無償で配布しているもの。媒体としての商品と収益を得る部分が遠ければ遠いほど、スマートさもきわだつ。
商品そのものの価値があっての話ながら、有無を言わず有償で手に入れるものだと消費者が認識しているものであればわざわざ無償にする必要もないが、消費者のニーズによって有償でもいいから欲しいと思うか、無償でなければあえて必要としないとするかが流動的であったりする場合は、無料媒体とする場合が成功するように思う。とくに、類似品が存在する場合は、ユーザー占有率が決め手になる確率が高いと想像するので、ユーザー数を確保するためにも無料な部分はキーに成り得るだろう。
企業の存在目的だけに視点をおけば、常識的な範囲を超えることない企業活動はインターネット上で、ジャンルを問わないまた問われない構造をもつ必然性と柔軟性をいかに習得していくかだと思う。ただし、習得したノウハウが実際インターネットでどう活かされるかは、次の壁になるだろうと思う。




